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*** Chapter 55 野営地指揮官 ***

 イエル・チェアイは映像が消えた無線話器を暫く見続けていた。眥(まなじり)に皺(しわ)を刻んだ彼の薄茶色の目にはその青い瓶は映っていなかった。いや、映っていたとしても彼の意識は別の所にあった。幕屋に吹き込んできた冷たい風が彼を正気づけた。幕屋の外では既に朝の喧噪(けんそう)が始まっていた。ナボル系人種特有の黒い髪に両手の指を突っ込んでイエルは暫く頭を抱えた。何度か頭皮を掻きむしった後、後頭部に手を組んだ。
「まったく、何て言うことだ。彼らを拘束しろだと」
 ロトロゼ県府の保安部長が直々に連絡してきた。既に、野営地内の保安部員には命令を下したと彼は言っていた。一応、野営地指揮官に話を通しておくと、尊大な言いようだった。そして、イエルの指揮で捕縛(ほばく)せよと頭ごなしに命令してきた。
「キルナ・アダウェイ副府長に確認します」
 イエルが保安部の命令を直接受けることは筋違いだった。彼は巡礼者野営地を発案し、イエルにそこの指揮を任せたキルナの判断を仰ぐことが最善の措置(そち)だと考えた。
「きさま、何をほざいている。これは、王国政府、いや執政局の命令だ。確認云々の次元ではないのだぞ。直ちに命令を実行しろ。解ったか。このばかめが」
 イエルは県府保安部長にばか呼ばわりされ、腹の虫が治まらなかった。また、髪の中に手を突っ込み、頭皮を掻きむしった。キルナに何度となく連絡を入れたが、彼の話器はキルナに繋(つな)がらなかった。
「いったい、副府長はどうしてしまったのだ」
 幕屋の外が騒がしくなった。四方から駆けつける足音が殺到(さっとう)している。きびきびした掛け声と点呼の声が続き、そして、静かになった。
「チェアイ指揮官殿。保安部隊長のナルナ・ウリガルです」
「はい、はい。今行きますよ」

更新日:2008-12-13 02:55:50

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