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小説

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「庶民感覚」考

過日一瞥した新聞にこんな記事があった。

「夜の会食で高級ホテルのバーを使う麻生首相は庶民感覚からかけ離れているとの批判に対して首相は今後もこの習慣を変えるつもりはないと言った」

僕から見れば至極当然、首相は今の習慣のままで良い。この「庶民感覚」なる言葉は主観的「庶民」の枠外の人物や集団に対して、彼我の社会経済的差異をある意図をもって一方的に表現する場合に使用される事が多い。相互に「庶民」と認め合った同士で使用する言葉ではないので「私(あなた)は庶民感覚がある」という用法は通常ない。

一方麻生首相は日本国を代表する権威の一人だから「庶民」には当たらず「かつての庶民」の血筋でもない。国政を信託された代議士はもはや一般庶民ではないのである。逆に「庶民」を装う政治家の方がいかがわしい。贅沢な議員宿舎が批判されていた時分「私はこんな安アパートに引っ越しました」と庶民ぶりを披露する野党代議士の様子が放映されていたが、こちらの方が余程嘘っぽい。

特に政治に纏わる人物をこの「庶民感覚」なる言葉を使って紙上で話題にすること自体、何らかの訝しさを感じるのである。首相や代議士諸氏は一般庶民ではないからこそ、庶民の望みに耳を傾ける姿勢が大切になるのであって、普段の習慣が庶民感覚から離れているからけしからぬという理屈はお門違いである。

「僕は高級バーで毎日のように飲んでいるんですよ」と首相が自慢気に自身の習慣を巷間に広めているなら兎も角、庶民でない人物が、自分のカネを使って高級バーで飲んでいようが、いっこうに構わないのである。

それを嗅ぎつけたマスコミが政治家の日常を流布すること自体、庶民の僻みを煽った話題の演出をしているにすぎないのである。こんなマスコミの主筆も高級ホテルでたびたび会食してるだろうにと勘ぐってみたくなるのは一庶民の戯言だろうか。「医者も庶民感覚がない」と一蹴されてしまえばそれまでだが。

~日本医事新報 2009年炉辺閑話より

更新日:2016-12-18 20:37:08