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小説

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お題「おでん」「心」「枕」

今日は月がない。

こんな日は憂鬱を通り越して絶望だった。
外灯が消えると世界が闇に包まれるからだ。
「暗い、というのは、怖い」
それが、私がこのような生活を初めてから学んだことのうちで、最も印象深いことだった。

寝る場所を求めてあちこちを彷徨う。
草原、公園、どこかの家の庭……。
転々と眠れる場所を求める。
寝る場所もそうだが、それよりもお腹が空きすぎていけない。
もう思い出せないほどずっと前に、ゴミ箱をあさって腐った魚を食べたっきりだった。

毎日のように枕を濡らす――。
いや、枕なんて上等なものなどあるはずがない。
そうだな。毎日のようにボロ布を濡らす夜が続いた。

そうして誰が見ても分かるほどに、がりがりに痩せてしまった身体と
力が入らない足を引きずって、私は今日も闇夜を彷徨う。

~~~

ふと、良い匂いが私の鼻をひくつかせた。
首を動かして匂いの元を探る。

あれだ。

おでんの屋台がそこにあった。
私は走った。
まだ自分の中に走れる力があることに驚く。
私は走った。
それはもう無様な姿で走った。

幸運というべきか、客はいなかった。

屋台の主人は手持ち無沙汰で新聞をめくっていたが、私が近づいてくるのに気づいて、はじめは目つきを険しくした。
それは当然だろう。
だって、私はこんなみすぼらしい格好をしているのだ。
だからゴミを見るような目で見られても仕方ない。
しかし、私は諦めない。
たとえゴミだと思われても、否、たとえゴミであったとしても。

どうしても、おでんが食べたいのだ。

そんな思いつめた瞳をしていたからだろうか。
主人は、ため息をつくとお皿の上にいくつかのおでんを乗せて、それを私の前に差し出した。

「食えよ」

ぶっきらぼうだったが、私にとっては世界で一番優しい言葉だったように思う。
情けないほどに衰弱していた私だが、目の前に食べ物が出されたことで理性に歯止めがきかなくなった。
がむしゃらに、がっつく。
食べ方が汚いだなんて言わないでくれ。
もっとゆっくり食えだなんて言わないでくれ。


私の人生で、これほど美味しい食事はあっただろうか。


「美味いか?」
主人はそう言って、空になったお皿にまたおでんを乗せてくれた。
私はまたがっつく。

美味しい。美味しい。美味しい……ああ、美味しい!!

この世で一番幸福な食卓を過ごした私の頭を主人がやや乱暴な手つきでなでてくれた。
ああ。このおでんのおかげで、私はお腹も、そして心も満たされた。
荒んだ心が浄化されていくのを感じる。
もう生きられない、死んでしまいたい。
と思っていた自分がいたことなんて忘れてしまいたい。
世の中には、こんなにも美味しいものがある。
こんなにも私に優しくしてくれる人がいる。
それだけで、充分ではないか。
だから、私は自分のもてる精一杯の感謝の気持ちを込めて、主人に向かって口を開いた。
そして、告げたのだ。







「にゃあ」

と。



了。

更新日:2009-05-20 20:58:57