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Ⅱ 豪華飛行船〝シルフィー〟

挿絵 365*429


 かもめ岬の姫君へ

 十八歳の誕生日おめでとう。殷墟を見学に行ったそうだね。どうでしたか? たぶん素晴らしい遺跡だったと思います。このあいだの手紙では、父君から誕生祝いに飛行船の乗船チケットを贈られたのだとか、乗り物好きの私としては羨ましい限りです。どうか楽しい旅を。
 私は最近また飛行機を操縦しました。風に乗るのは素敵だ。君にも乗ってもらいたいな。

                                              T・E・ロレンス

 山吹色の屋根をしたヴェランダハウスから道路に出たリムージンのクラクションが鳴った。
「シナモン、準備できた?」
「はいっ、叔母様」
 ヴェランダの藤椅子にもたれて手紙を読んでいたレディー・シナモンが、ハンドバックに手紙をしまい込み、中国娘のメイドに手伝ってもらって、トランクを車に積み込んだ。
 上海の街路は急に幅が広くなったり狭くなったりする。このでたらめな規格の道路を縫って路面電車が窮屈そうに走り抜けていく。路面電車を追い越していくリムージンには、シナモンと叔母君、さらには見送りに行くといって乗り込んできた近所の有閑夫人たちの姿があった。リムージンを運転しているのは叔母君だ。シナモンは名残惜しそうに車窓から街並みを眺めていた。
 黄浦江左岸の船着き場をバンドという。バンドは上海の金融街であった。サッスーンハウス(現在の和平飯店)、上海海館などの石造建築物群が建ち並ぶ。石造建築物群にはネオバロック様式、ネオルネッサンス様式、アン女王復古様式などがあり、英領植民地に多く建造されたものだ。
 人や車で麻痺した街路を警官達がてきぱきと誘導する。警官達は中国人のほかに、インド人、ベトナム人、ロシア人といった外国人もいた。インド人はイギリス人が、ベトナム人はフランス人が植民地から呼び寄せ雇った。ロシア人はロシア革命で亡命してきた没落貴族だった。
 上海の空気は淡いセピア色で、市街地の南を流れる黄浦江は、セピア色をもっと濃くした土色をしている。黄浦江を誰も大河だとはいわない。けれども、大型船が何十隻も停泊できるほどの川幅と水深を有している。米英列強は、租界にいつ襲いかかってくるか判らない中国政府軍や反乱軍に備えて、何隻かの巡洋艦を黄浦江の真ん中にたえず停泊させていた。そんな黄浦江に沿った道路を走るリムージンが、バンドの波止場に着こうとしていたが、リムージンに乗った有閑夫人たちのゴシップはまだ続いている。 
 天気は小雨模様である。にもかかわらず、バンドに押し寄せた数万人の観衆が、対岸にある浦東地区を眺望していた。浦東地区は二十一世紀現在でこそ新都心であるが、当時はただの田園地帯に過ぎなかった。ゆえに飛行船専用飛行場が仮設されたのである。農地を潰して平坦面をつくり、簡単な管制塔や倉庫、さらに飛行船の船体をロープで繋ぐ繋留塔が建てられた。豪華巨大飛行船〝シルフィー〟はそこで宙に舞う時を待っていた。

更新日:2010-07-16 19:40:26

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