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小説

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All my loving

 空港ロビーのアナウンスが、東京便の乗客に間もなく搭乗開始時刻であることを告げている。私はまだ心を決めかねていた。
 夕暮れ時の高松空港のロビーは思ったほど混雑していない。私の眼は公衆電話を探している。
 「羽生君、先に行っててくれないか。ちょっと電話してくる。」私は、支社の監査に同行してきた部下に言い置いて公衆電話に向かった。
 電話番号は、昨夜のうちにホテルで調べてあった。搭乗にはまだ少し時間がある。
 
 高松市仏生山甲、濱野医院。メモも手紙類もすべてどこかに行ってしまっていたが、二十五年の歳月でも彼女の住所を忘れることはなかった。ホテルで一〇四に電話した。
 当時は、音声応答装置ではなく係の女性が案内してくれた。番号を書きとめ始めると、
 「おつなぎしますか?」と女性が尋ねた。
 その心の準備を私はしていなかった。尋ねられる予想もしていなかった。
 「結構です。ありがとう。」少し躊躇(ためら)いながら答えた。
 私は電話番号を書き留めたホテルの便箋をじっと見つめていた。
 お父上はまだ健在で現役なのか。それとも、彼女は医院を継いでくれる医師と結婚したのだろうか。いずれにしても、彼女に連絡が取れそうだ。高松に出張が決まって以来、心は揺れていた。

 三度目の呼び出し音が鳴り終わって受話器を置こうとした時、電話口の向こうから、
 「濱野医院です。」と声がした。
 「浅田と申しますが、お嬢さん、いえ、克美さんいらっしゃいますか?」
 「どちら様ですか?」用心深そうで少し無愛想な問いが返ってきた。不惑(しじゅう)を回っているのだから、「お嬢さん」はなかったかもしれないと思いながら、
 「学生時代に東京で知り合いだった者ですが・・・。」と答えた。
 受話器を手で覆いながら何か話しているようだ。東京とか浅田とか言う言葉がとぎれとぎれに聞こえる。高松駅前通りにある仕事先の支社から空港へタクシーで向かって来る途中、『仏生山』という標識を目にした。この辺(あたり)か。初めての土地だったが、何故か何度か来たことのあるような懐かしい気持ちがしていた。

更新日:2017-03-20 20:04:56