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雪が降り積もるある日、アレクセイはやってきた。

「おばあさま、許してくださいとはいいません。どうか、医者を!!」

突然訪れた孫息子アレクセイ。
20年も前に出奔し行方知れずになっていた。期待をかけたドミートリィは反政府運動の首謀者の一人として処刑された。なぜか弟のアレクセイも当局に追われる立場となった。
必死で守ってきた侯爵家に泥を塗った孫息子たち。到底許せるはずもないが、わたしの心のあの子はいつまでも「小さなかわいいアレクセイ」だ。

「ぼくの妻です。どうか、医者をお願いします」

両腕に抱えられたその人は女性だ。意識がないのかぐったりとアレクセイの腕の中にいた。一目でただならぬ事態だと理解できた。

執事のオークネフに言ってかかりつけの医者を手配した。拒むことは簡単だが、出奔して以来わたしを頼ることをしなかったアレクセイが頭を下げて懇願してくる。どうして拒めようか。

日当たりの一番いい客間を用意し、アレクセイが抱えるその人を医者に診せた。

どこかで見たことのあるその彼女は、呼吸も荒く発熱もあるようだった。
診察の間、アレクセイは部屋の外で心配そうにたたずんでいる。
別れた時はまだ14歳の少年だった孫は、いつの間にか逞しい青年に成長していた。その横顔は、亡き息子にも兄であるドミートリィにもよく似ている。

ほどなくして医師が出てきた。
どうやら、手当てが功を奏したようだ。
医師は、呼吸も整ってきたし、栄養のあるものを取っていれば回復するだろうと言ってくれた。わたしもアレクセイもホッと胸をなでおろした。

「何より普通の身体ではないので・・・」

え?

「おや、ご存じなかったのですか?奥様はおめでたですよ」

あっけに取られているアレクセイ。わたしも今までにないくらい驚いた。
アレクセイは医師を押しのけるように部屋に飛び込み、ベッドに横たわり静かに眠る妻を凝視していた。

わたしは医師から詳しいことを聴いた。
おそらく妊娠3か月くらいだろうということと、定期的に診察を受けた方がいいとういこと。栄養失調気味なので食事に気を付けてほしいこと。肺炎を起こしかけていたので、再度診察をお願いしたいということ。

「多分大丈夫だと思いますが、妊娠初期は流産の危険もございます。念には念を入れた方がよいかと」

医師を送る執事のオークネフの背中を見送りながら、客間の中に入った。
アレクセイは妻の妊娠がよほど驚いたのか、立ち尽くしている。男というのは、いつの世も妻の妊娠に初めは唖然とする。女と違って実感がわかないのだから仕方がないが。

思い出した。孫の妻だという彼女のこと。
もう、何年前になるのだろうか。
男装をしたきれいな娘さんだった。アレクセイを追ってドイツから来た、かくまってほしいと。わたしはそれに応じなかった。表向きは孫息子とは絶縁しミハイロフ家は蟄居の立場だ。できるわけがない。
アレクセイのことを知っている彼女の話を聞きたい衝動をどうにか抑え、生きていてくれたことを神に感謝した。

わたしはアレクセイを抱きしめた。

「おまえのことを忘れたことなど1日もなかったのだよ。よく生きていてくれた。おまえはいつまでも”小さなかわいいアレクセイ”なのだから。よく、よく生きていてくれたね」
「おばあさま・・・」

アレクセイは、妻のユリウスをわたしに託し、仲間のもとへ戻っていった。

更新日:2017-03-13 08:35:12

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