• 7 / 24 ページ

(2)出会うべき2人

 専門学校に通ってまでなろうと考えていた放送作家の世界からドロップアウトすることに決めた孝明は、先輩から依頼されていた仕事をやり終えていた。今まで面倒を何かとみてくれていた先輩には、その仕事を引き継ぐ場ではっきりと自分の意思を伝えるつもりだった。

そこまで決まったところで、孝明はふと立ち止まって考え込んでしまった。何故ならドロップアウトした先の風景が、孝明には全く見えていなかったのだ。ひょっとして放送作家の見習いの仕事があまりに辛すぎて、孝明は逃げ出すことばかりを考えていたのではないかと自問自答を繰り返した。

ドロップアウトする小さな勇気は手にしたが、果たしてその勇気が単なる厳しい現実からただ逃げ出すことの裏返しかもしれないと考えた途端孝明は先へ進めなくなった。確かに如何にも自分自身にあまりにも厳しすぎる見方かもしれなかったが、それだけ慎重に考えるべき内容であることは間違いのないことだった。

最近の孝明はパソコン液晶画面に浮かび上がってくる原稿用紙を見つめると、いつもその原稿用紙に小説を書き込んでみたいと思うようになっていた。放送作家のように雑用ばかりに追われて、しかも原稿用紙には決められた風景しか描くことができなかった。それが今の孝明には中途半端に感じられて仕方なかった。

孝明は小説を読むのが好きだった。ただそれと同様に映画を観るのも大好きだった。そして小説を読んでいても映画を観ていても、いつからか孝明は自分ならここでこうしないとか考えるようになっていた。そしてそう思うそばから、やはりものを創出することの素晴らしさを実感させられていた。

自分ならこんな展開にはしない、自分ならこんな主人公像にはしない、自分ならこんな言い回しはしない、などと小説を読みながら映画を観ながら考えていたら、いつの間にか孝明は自分で創る側に回ってみたいと考えるようになっていた。だが映画を創るといっても、孝明にはとてもハードルが高いように思えていた。

それに比べて小説の方は、目の前のパソコン1つあればいつでも自分だけの創作の世界に入り込んでいくことが出来るように思えていた。しかしそこまでは考えが進んだところで、また孝明は立ち止まってしまうこととなった。他人の創作の世界について、あれやこれや言うことができても肝心な自分自身の創作のアイデアが浮かんでこないのだった。これは予想外のことだった。

私小説を書くにはあまりにも平凡な風景しか、孝明は見てこなかった。自分が歩んできた道のりからの延長線上には、孝明が書いてみたいと思う風景はさっぱり浮かんでこなかった。こんな状態の孝明に小説の1行ですらかけるはずがなかった。だが相変わらず他人の作品に接するたびに、自分だったらという思いが浮かんでは消えていた。

孝明の中に次第に大きなストレスが溜まっていた。結局のところこのストレスが最終的に、孝明に放送作家への道を閉ざすことに繋がっていたのは間違いなかった。やっていることは似ているようだったが、放送作家として原稿用紙に向き合うことは本当に孝明がやりたことではなかったのだ。

ところが孝明を巡る状況は、孝明の思いとは反対の方向へ彼を導いて行こうとし始めていた。と言うのも孝明が先輩から頼まれていた初恋をテーマにしたショートストーリーが、スタッフ達から高い評価を得ることとなっていた。ファミレスで不意に孝明の中学時代の風景が拡がったのを切っ掛けに、孝明は中学時代に唯一親しく同じ風景を眺めることとなった佑香のことを想いながらストーリーを書き上げた。

佑香と孝明とが辿り着いた先で待ち受けていた風景は、孝明には思い出すのも辛い内容になってしまっていた。偶然にも佑香が学級内で居場所がなくなってしまった時に、孝明は佑香の傍らに寄り添うこととなった。佑香を追い掛け回していた同級生は佑香の前に姿を現すことがなくなっていたし、同じクラスの女子生徒たちもあからさまに佑香を無視することもなくなっていた。

更新日:2017-01-10 17:26:58

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook

★【84】ベイビーが流れていた季節(原稿用紙100枚)