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第1部 3


 新居の台所の食器棚の前で食器類を荷解きしているショーコに、
「これは、どちらに運びましょう? 」
腕を一杯に広げ1人で本棚を抱えた引越し業者のスタッフが、苦しげに話しかける。
 ショーコ、
「あ、じゃあ、そちらの部屋に」
台所の奥の、ベランダに面した居間にする予定の部屋を、手のひらで指して答えた。
 その部屋の隅では、貫太と清次が大人しく……はないが、ショーコの手を煩わせることなく、2人でカーペットの上に転がり、何やら笑い合い、遊んでいる。ショーコが忙しいのを感じ取ってか、貫太が自分から、清次の面倒を買って出てくれたのだ。
(カンちゃんも、すっかりお兄ちゃんだな……)
頼もしく感じながら、ショーコは、微笑ましく、貫太と清次の様子を眺めた。

 今回の引越しの理由はタークとは関係ないが、タークの手の者と思われる日空人に公園にいるところを見られているため、せっかく引っ越すなら、日空人のターゲットとなっている首都とは反対方向に出来るだけ遠くへ引越したかった。だが結局、前回の引越し時ほどではないが急いでいたことから、前回に比べれば清次がしっかりしてきた分の少しだけ遠く、県内だが以前住んでいた町から西方向に、公共の交通機関での移動では少し距離のある、しかし翼で飛んでしまえば20分程度の、県庁所在地である市の中の、市街地から離れた静かな住宅地であるこの地に落ち着いたのだった。



 引越しの荷物を全て搬入し終え、
「ありがとうございました! 」
帽子を取って礼儀正しく挨拶し、トラックに乗り込んで帰って行く引越し業者のスタッフ。
 玄関先で見送っていたショーコは、引越し業者のトラック到着直後からアパートの前をウロウロ歩きショーコのほうを窺っていた腰の曲がったシワクチャ顔の老婦人と 目が合い、会釈した。
 老婦人は、意外と速い、しっかりとした足取りでショーコに歩み寄って来、
「こんにちは。ここのアパートの裏に住んでる、沢田(さわだ)です」
ニッコリ笑う。
 返してショーコ、
「あ、羽鳥(はとり)です。よろしくお願いします」

 沢田老婦人は、よく喋った。
 どこから引っ越して来たの? に始まり、ベランダに置いた貫太の自転車を見、お子さんおいくつ? じゃあ来年は小学校? お幼稚はどこに通うの? 役所にはもう行った? 役所まで行かなくても、市民サービスコーナーが消防署の所にあるよ。指定のゴミ袋は持ってる? 何枚かあげようか? すぐ必要でしょ? ゴミ捨て場は、すぐそこの道路脇。ゴミの日はね、燃えるゴミが月・木、燃えないゴミが第2金曜日、資源古紙が……といった具合に、ショーコにごく短い言葉しか返す隙を与えず喋り続けること約15分。最後に、
「何か困ったことがあったら、遠慮しないで言ってね」
と言い、
「はい、ありがとうございます」
とのショーコの返事を待ってから、満足げに去って行った。
 ショーコは大きく大きく息を吐く。沢田の話を聞き、1つ重大なことに気づいて、気が重くなっていた。
(そっか、幼稚園か保育園に入れなきゃ……)
 清次は、まだ何処にも通わせなくても不自然ではない……それ以前に、また人前で翼を出しでもしたらどのような事態を招くか想像に難くないため、清次が自分で上手に翼をコントロール出来るようになるまで何処にも預けられないが、貫太は、通わせなければ不自然だ。それだけで周囲の不審を買い、他人の視線を浴びながら生活することになる。
 見られることが多くなれば、気をつけていても、何時か些細なことで地表人でないことがバレ、前の町のように居づらくなってしまう。それは避けなければならない。
 幼稚園か保育園に入れることを考えて気が重くなるのは、日空人(特にターク)のことで貫太と離れている時間が不安という理由だけではない。 経済的な問題もある。
 この引越しで、貯金を大分使ってしまった。清次を預けられないのだから働けない。貯金を切り崩して生活するしかない状況で、幼稚園や保育園の出費は、かなり痛い。
 仮に清次の翼のことがバレた時にはまた引っ越す覚悟で清次を保育園に預け働いたとしても、ショーコの得る収入など、たかが知れている。引越しが必要になった時点で、まだ、引越し費用など用意出来ていないかも知れない。その確率のほうが、用意出来る確率よりも高い気がする。もう 引っ越さないつもりで、今後の行動を決めていったほうがよい気がする。
 ショーコは、日空界による侵略の危機に瀕しているこの状況下でも平常どおりに生活しようとする、恐ろしく勤勉なのか超天然的平和ボケなのか分からない地表人の気質を、少し恨みに思った。

更新日:2017-01-22 09:54:56

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