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第19話 1917年~バッハ無伴奏ヴァイオリン「シャコンヌ」




1917年の夏だった。

その日は、朝から晴れわたっていた。
抜けるような青空に、アルプスのきりたった山々がそびえている。

僕は、なぜか急に、あのストラディヴァリが弾きたくなった。
それもバッハのシャコンヌを。

別荘の外に出て、湖に臨む青々とした草地の上に立つ。
楽器を構えて、最初の重音を弾く。

遠い山々に、高い空に届くような澄んだ音色。

この曲は、クラウスが好きだった。よく弾いていた。
不思議なほど鮮明に、奴がヴァイオリンを弾く姿を思い出す。

深い音色は、遠くへ遠くへと伸び、青い空に吸い込まれていく。

最後の盛り上がり、美しいアルペジオが繰り返されるところで、突然、鈍い音がした。
E線が切れたのだった。

僕は、急に力が抜け、その場で放心した。

弦の切れた楽器を手に、湖の前でしばらく茫然と立っていた。




にわかに黒い雲が広がり、湖が急速に暗くなった。

灰色の湖面にたたきつけるどしゃ降りの雨。
僕は、慌ててヴァイオリンをかばいながら別荘の室内に戻った。




https://www.youtube.com/watch?v=DBJPVnJ8m-Y
【J.S. Bach, Chaconne, Partita for solo violin No.2, played by Gidon Kremer】


更新日:2017-01-19 21:41:20

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