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Ⅱ、秘密

                      
 
ヤーン先生の事件があってから、ぼくは変わった。しかしぼくの周りにいる人たちは皆、そんなことには気づくはずもない。唯一秘密を共有する母さんだけが知っている、このいまわしい苦悩。ぼくは殺人者になっていた。性を偽るだけでも重いことなのに、さらに罪を重ねてしまった。ぼくの人生に救いはあるのか。共に学ぶ同世代たちの中にいて、彼らの無邪気な笑顔を目の当たりにすると、暗澹たる絶望的な思いが訪れる瞬間がある。

そんな時、クラウスのあの鳶色の瞳に出会ったりすると、その明るさや温かさに包まれ、不思議と心が軽くなる気持ちがした。でも同時に、彼の真っ直ぐな眼差しから逃げてしまいたくなるのも確かだ。ぼくはもう君と同じじゃない。本当は女であること、罪を犯していること、そして君に恋してることも…、すべて秘めたままで生きていくんだ。だけど、クラウスのあの瞳は、やはりどこかぼくの支えだった。彼の鳶色の瞳は、暗い人生を歩まなければならないぼくにとっては、まぶしい、けれど残された一条の光だった。



クリスマスの休暇明け、なかなか学校に戻らないクラウスを、ぼくはいてもたってもいられない位心配をした。休暇中ケガをして、ぼくの家に現れ倒れ込んだ彼の安否が、気になってしかたなかったからだ。無事に学校に姿を見せた時は、安心のあまり泣いてしまった。部屋にかくまわせ心配をかけたお詫びなのか、クラウスから寄宿舎の部屋に遊びに来るよう誘われた。部屋を訪ねた時に彼は留守で、帰ってくるまでの間、ぼくは中で待つことにした。

部屋に入ると、机の上の写真立てが自然と目についた。写っているのがアルラウネにクラウスだと思っていたら、違った。男性の方はクラウスにとてもよく似ていたけれど、亜麻色とは違い、黒い髪をしていた。そんなことをしてはいけないと分かっているのに、どうしてももっとよく見てみたい強烈な衝動に駆られ、写真立てから写真を外して見る。ドミートリィ・ミハイロフ、写真の裏にはそう書いてあった。クラウスより年上の、落ち着いた聡明そうな男性。名前からして、ロシア人だ。この人はいったい…。混乱していた丁度その時、ドアが急に開いてクラウスが部屋に入ってきた。
      
急いで後ろに隠すも、気づいた彼はぼくから写真を取り返し、青ざめた面持ちで沈黙した。驚くべき事実を彼から聞かされたのは、その時だった。クラウスは、本当はアレクセイ・ミハイロフという名前のロシア人だった。どうして彼がウオッカが好きで、あの日『オルフェウスの窓』から遠くを眺めて「ロシアの空が見える」と言ったのか。やっと理解した。ロシアの政治活動家が読んでいる“イスクラ”を彼が持っていたのも、おぼろげに納得する。誰かにしゃべったら道連れにする…、思いがけず『秘密』を知ってしまったぼくに、クラウスは口止めをした。



大丈夫だよ、クラウス。ぼくは君の『秘密』を誰にも話したりしない。君が何人だろうと、どこの誰だろうと、そんなことぼくには関係ないんだ。そして人に言えない『秘密』なら、ぼくは君以上に持っている。ぼくを破滅へと導くその『秘密』を前にして、君はきっとおののくだろう。クラウスの告白を知っても、ぼくの心は不思議と冷静だった。『秘密』を抱える者が同類を得て感じる、安堵感のようなものか。それとも「本来」の彼を知って、より彼に近づいた気がするからなのだろうか。





更新日:2017-05-20 10:31:57

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鳶色の瞳【オルフェウスの窓ss Ⅴ 】