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Ⅰ、出会い

挿絵 474*474

 
クラウスの鳶色の瞳に初めて出会ったのは、聖ゼバスティアンの中庭でだった。

転入した音楽学校の入学初日、ぼくは上級生の彼を殴った。植え込みでタバコを吸っていた彼の足を、同じく転入生のイザークが誤って蹴ってしまい、手を出してきたからだ。おとなしいもうひとりの転入生に代わって、ぼくがクラウスにお見舞いしてやった。
そのおかげか、クラウス・ゾンマーシュミットに喧嘩を売った身の程知らずとして、ぼくの名前は早くも学校中に知れ渡ることになる。入学早々初対面でやり合ったのが距離を縮めることになったのか、それから何かとクラウスに構われる学生生活となった。
意外なことに彼は天才的なバイオリン弾きで、その上愉快すぎる先輩だった。


その後、クラウスとぼくは「オルフェウスの窓」で出会う。彼は「窓」に寄りかかり、ぼんやり空のかなたを見ていた。
何をしているのだろう。近づいてみると、彼の瞳に涙が浮かんでいるのに気づいた。傍若無人のようにも思えたあの彼が泣いている…!それはちょっとした衝撃だった。それでもぼくはクラウスへのガードを緩めず、悪態をついた。何かしかけてきそうな奴は牽制しておく、それが自分を守る鉄則だったからだ。
しかしその時のクラウスは、喧嘩好きな彼らしくもなくどこか神妙で、やりあうことはなかった。彼は遠くを見つめ、「ロシアの空が見える」と呟いた。

ロシアの空って、どういう意味だ?ぼくには、その時はまだ分からなかった。
クラウスから「窓」に立ったのは初めてだったと聞き、愕然とした。神様はどこまでぼくに辛辣なのか。イザークだけでなく、クラウスとも『宿命の恋人』になってしまった。でもぼくは誰とも“恋”になんか落ちない。女に生まれたけれど、ぼくは男として生きる。そう生きるしかないんだ。



「勝手に手を出すなよ、こいつにはもう唾をつけてあるんだからな!」
ある時授業が始まる前、いきなりクラウスに手をつかまれ、胸の方に引き寄せられた。彼はふざけただけなのに、ぼくはドキドキして顔まで赤くなった。抵抗できないほどの勢いで、彼の強い腕の力に引っ張られた時、悔しさと同時にぼくの中に潜在している男性への恐れが、なぜか急に顔を出した。そんなことは初めてだった。クラウスは何のためらいもなく、どんなにぼくの心をかき乱すかも知らずに、平気で肩や腕に触れてくる。前触れもなく唐突に、時に強引に。そしてあの鳶色の瞳で無邪気に、どんどんぼくの内面に入って来るのだ。それを恐れているのに、ぼくは彼のそばにいて一緒に笑ったり言葉を交わしていたいと思ってしまう。揺れ動く自分の気持ちに、ぼくはもて余される。




転入して初めての『学内演奏会』、ぼくは聖歌隊に交じってソプラノのソロを歌うことになった。
「お前がちゃんと歌えるように見ている」、クラウスは大きな手でぼくの手を包みそう言った。ぼくの声を「女みたいだ」と笑ったくせに。いつもぼくをからかってはふざけるくせに。彼の鳶色の瞳が真っ直ぐぼくを見つめた。彼に美しい婚約者がいると分かって胸が痛んだけれど、その時のクラウスは優しくて、温かくて、それがぼくはすごくうれしくて、そのことだけで心が満たされた。

今まで、母さん以外の誰かから励まされたことなんて、一度もなかった。「大丈夫だ、心配するな。」ずっとこんなふうに、本当は誰かから、ぼくは勇気づけてもらいたかったのかもしれない。ぼくも誰かに寄りかかれるのか、クラウスの手のぬくもりを感じながらそう思った。彼にずっと見つめられているのも、緊張しそうだ。でもあのクラウスがぼくを見ていてくれる、そう思うだけでなぜかすごく安心して、心強かった。



[Uploaded by user : Regensburg ,Bayern ]

更新日:2018-01-03 01:17:20

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鳶色の瞳【オルフェウスの窓ss Ⅴ 】