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和平破綻

1 夜襲

天正一〇年六月三日深刻。
「お屋形さま。毛利方に動きがございます。黒田殿、蜂須賀殿が参られています」
「なんじゃ、夜分に。毛利も忙しいことよ。すぐに支度をせい」
 羽柴筑前守秀吉は寝ていたところを起こされた。
(上様がまもなく来着される、その準備で忙しいというのに、毛利は何を考えておるのだ。せっかく和議がなろうというのに。これで毛利はお仕舞いじゃ)
秀吉は、寝惚けた頭の中でそのような事を考えていた。
 織田家中国表の差配を預かる秀吉は、備中の要衝高松城を三万近い大軍をもって囲んでいる。高松城は、岡山平野の最深部にある平城ではあるが、三方を沼に囲まれ、一方は幅の広い堀で守られている。山城とは違った自然の要害だった。
 秀吉は力攻めが難しいと判断すると、地形からひとつの案を思いついた。
 城の南方に堤防を築き、近くを流れる足守川から水をひけば高松城は水没する。
 近在の農民を集めて、昼夜兼行の作業によって一〇日余りで堤防を完成させた。高松城は湖に孤立した。
 羽柴軍は高松城を完全に包囲した。
 後詰の毛利軍に備えた堤防は防柵と堀で砦の観があるほどだった。
「吉川勢がこちらに攻め寄せてきております。小早川に動きはございませぬ」
 黒田官兵衛孝高が開口一番に発言した。竹中半兵衛亡き後の、秀吉の軍師格だった。秀吉が播磨入りしてから、秀吉に従い軍功を上げている。容貌は醜い。荒木摂津守の謀反の折、説得に赴いたところを土牢に一年閉じ込められた結果だった。身体も自由が利かない。それでも官兵衛の智嚢は健在だった。
「どういうことじゃ。吉川だけが動いておるのか?」
「御意。日差山に陣取る小早川勢には動きはありませぬ。それよりも吉川勢の動きに慌てている様子に見えまする」
「小六どん、恵瓊は和議を結ぶことに異存はないと申しておったな?」
 秀吉は蜂須賀彦右衛門正勝に訊ねた。美濃平定戦からの付き合いのある秀吉の股肱の臣だった。そのため昔の名で呼んだりしている。
「清水殿の処遇以外では、国割りに異議はありませぬ。吉川勢のみの動きとなれば、和議を進ませぬ吉川治部少輔殿の勝手働きではないかと」
「それがしも、彦右衛門殿の考えに賛成です。恵瓊殿の話の端々から、毛利両川といえど一心に固まっているとはいえぬ様子。左衛門佐殿に差配されているのが気に食わず、このような行動に出たのではないかと思いますな」
「なるほどのう。で、吉川への対処はどうなっておる?」
「小一郎殿がすでに」
「うん。ならば安心じゃ。にしても、吉川はなぜ今頃、夜討ちなどする必要があるのか」
「上様の出馬は毛利方にも聞こえておりましょう。焦って失策を犯してしまった。そのようなものかと」
「はっはは、確かに、上様出馬となれば、焦るわな。わしでさえ平常に保てぬのに、敵となればな。まあ良い。小一郎が手当てしておるのならわしは寝る」

更新日:2013-11-24 16:12:22

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