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第3話 とある少女のクリスマス

 12月25日のことを話しておこう。
 12月26日に世界中が混乱に包まれていたということは説明したと思う。困惑していたとも。
 なぜ、そうなったのか。
 なぜ、例のメッセージが神妙に語られるようになったのか。
 あんな、タチの悪い悪戯としか思えないような文章を、世界が信じることになったのか。
 理由は簡単である。
 日本のとある場所の人々が一瞬にして消え失せたからだ。
 押したのは、いじめにあっていたとある女子児童だった。
 その女の子が、「ボタンを押しました」と警察に自主したり通報したわけではない。
 そもそも、彼女が起動した際の位置も悪く、学校から一番離れているクラスメイトが休んでいたこともあり、非常に広い範囲の人々が消え失せていたのだ。
 範囲内には、彼女の住まう地域の警察の通報司令室も入っていたため、仮に警察に通報したところで、その通報は届かなったことだろう。
 少女の名前は小門文(こかど あや)。その少女はいじめにあっていた。それだけでなく、両親から虐待も受けていた。
 正しくは、両親に虐待を受けていたことから、いじめを受けていた。
 彼女は世界に対して絶望していた。
 この世界に希望を見いだせなかった。
 彼女の少ない人生には、希望を感じさせるだけの優しさも温もりもなかった。
 感じるものは、恐怖と痛みばかりであった。
 信じることさえできなかった。
 信じてくれない子供に、世界は寛容ではなかった。
 少女に生きる希望はなかったが、この世界に対する、この環境に対する恨みだけは自らも重苦しく思いながらもずんぐりとしたそれを抱えていた。
 だからこそ、彼女はそのボタンを押せた。
 そこに何らかの希望や、愛情があれば、もしかしたら踏みとどまれたのかもしれない。しかし、指先にはそれまで彼女が抱えてきたずんぐりとした恨みが、そのまままるごとのしかかってきた。彼女の痩せ細った指では耐えられるはずもない重さのそれが。
 彼女は押した。小門文はボタンを押した。
 次の瞬間には、周りに人間はいなくなった。
 動物もいなくなっていた。
 世界を憎悪していた少女は、生き物のいない世界を歩いた。
 そんな見知ったはずの初めてみる世界を歩きながら、彼女は自分を魔女だと思った。
 自分の知ってる世界の人々をすべて消え去ることができたのだ。
 自分が世界全ての頂点だと思った。
 歩くのに疲れると、目についた大きな屋敷の窓ガラスを破って入った。
 窓ガラスを破った時に、けたたましく警報が鳴り響いたが、そんな音が鳴っていても誰もやってくることはなかった。
 それを確認すると、うるさく叫び続ける警報器を叩き壊した。
 侵入してしばらく歩くと、自分の家の匂いとはあまりにも違うことにまず驚いた。
 次に驚いたのは、ドアを開けると少女は無意識に呟いていた。
「なんて、広い廊下なんだろう。おうちが全部入っちゃいそう・・・・・」
 そこは廊下ではなくエントランスだったのだが、彼女はエントランスという言葉も知らなかった。
 あてもなくドアを開け続けると、そこはダイニングキッチンで、そこには今まで口にしたこともないようなごちそうがたくさんあった。
 好きなだけ食べた。
 もしかしたら、おなか一杯においしいものを食べたのはこの時が彼女にとって、初めてのことだったかもしれない。
 重くなったおなかを抱えるようにして2階に上がってみると、そこにも清潔で豪奢な空間が広がっていた。
 同じぐらいの年頃の女の子がいたのかもしれない。
 その部屋には自分と同じようなサイズの洋服がたくさんあった。
 周りの同級生たちが着ていた中でも、極めてかわいい洋服ばかりがあった。
 彼女は1階に戻りバスルームを探し出してお風呂に入ることにした。
 お風呂も浴槽だけで自分の家の脱衣所とお風呂場を合わせた広さよりも広かった。
 最初は使い方がわからなかったが、誰も怒る人がいないことをいいことに、いろいろと試してみると、浴槽にお湯を張ることができたし、シャワーを出すこともできた。
 嗅いだこともないような芳しい香りのシャンプーに包まれ、ボディーソープに包まれた。
 浴槽に入るとジャグジーの泡に包まれ、こんな生活があるなんてまるで夢のようだと、もしかしたら彼女の人生において初めて、幸せを噛みしめた。
 お風呂から上がると、それまで着用していたものではなく、その家に住んでいたと思われる少女の、手触りの全く違う下着を身に着けた。そのままの姿で階段を上がり、先ほど見つけた少女の部屋に胸を躍らせながら入った。
 自分の好む服を選んで着てみる。自分の全身よりもはるかに大きい姿見に体を映すと、少女は自分の姿の変わりように驚いた。自分自身でコーディネートした服装にうっとりと目を細めた。

更新日:2013-03-22 00:50:41

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