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第6話 井の中の革命

 1年3組が津田一口(つだ かずぐち)の教室である。下駄箱に靴をしまい、上履きに履き替える。職員室がある校舎と向かい合わせにある校舎の3階が、彼がこの中学に入学し通い続けてきた教室であった。そんないつもの教室に入ると、いつもとは温度の違う視線が彼に対して一斉に向けられた。
 いつもだと、笑いを含んだような冷たい視線を一瞬向けられるだけなのだが、今日はあきらかに怯えたような、窺うような視線を向けられたのだ。
 そして、いつもならクラスで――いや、ここら辺にある中学生の間で幅を利かせている米田共(よねだ きょう)のグループが彼に絡んでくるのだが、そんな彼らも同じようなリアクションをとっている。
 津田自身も、少し窺うようにしてとある席を見てみると、そこにはいつもでは考えられないような姿勢で、加羽肖(かばね しょう)が自分の席についていた。
 加羽も津田と同じく、いじめを受けているクラスメイトではあるが、その内容は違うものであった。いじめにも種類はある。
 津田は性格はまじめで優しく、正義感が強い。悪い表現を使えば、それは愚直とさえいえるかもしれない。だからこそ、一部の人間から疎まれ、標的とされている。その標的としている連中に巻き添えを食うのが嫌で、他のクラスメイトは基本的に遠巻きに見、時には彼を馬鹿にしたりもする。周りのクラスメイトに絡まれているとき以外を除けば、彼は学校にいる間はほとんどの時間を一人で過ごしている。
 津田はクラスで「犬」と悪口をつけられているのだが、これは先ほど述べたような彼がまじめな人間であることが、飼い犬のようだといわれだしたことがきっかけである。くわえて、彼には持病でアレルギー性鼻炎があり、昔は特に鼻水がたらたらと流れ出ていた。犬の鼻は湿っている。それを見立てたものでもあった。
 もっとも彼の場合、もともとの性格が、いじめを受けることにより、あんな連中にはならないという思いから、さらにまじめに清く正しく行動するようになった結果だともいえるのだが。そんな思いがにじみ出ているのもあって、さらにクラスメイトとの溝が深くなってしまう。そういった悪循環の中にいた。
 一方加羽は、基本的に卑怯者で調子乗り。例えば津田がいじめを受けているところに出くわせば、彼も日頃のうっぷんを晴らそうとしてか、嬉々として加わってくるような人間である。
 その代り、基本的に通常はいじめられないように、どこか卑屈さを漂わせるようにしながらも、おとなしくしている。そんな態度をとっているから、より米田グループにとって格好の標的となっているのだが、そんな彼は、繰り返しになるが、普段とは全く違う姿勢をとっている。
 当然彼が座っているのは、教室で各生徒に与えられているその決まった座席である。が、その姿勢がいつもなら机の盤面を見るように背を丸くし、机の上でくんだ両手の上に額を乗せ、右に左にと、時折視線を送ったりしているのだが、今の彼は背もたれにもたれきって、椅子の後方の脚だけで姿勢を保ち、悠然と構えていた。
 普段やり慣れていないのもあってか、ますますもって異様に見えてしまう。
 何があったのかと思う津田であったが、彼にはそれを訪ねる友達がいない。
 だから、周囲の話声に耳を傾けるしかないのだが、それでもどうやら、教室はその話題であふれているらしく、そこまで苦労することなくその理由を知ることができた。
 曰く、「加羽は『禁忌のボタン』を持っているらしい」ということらしい。
 同時に聞こえてきたのは、「もしかしたら、津田ももってるんじゃねーの?」っといった内容であった。
 ニュアンスの違いから察するに、加羽はおそらく公言でもしたのだろう。
 だから加羽はああも横暴な態度をとっていられるのだろう。
 ようするに、俺の気に入らないことがあれば、お前らなんて消せちゃうんだよ?という自信を表に出しているのだ。
 ほかのクラスメイトと津田の決定的な違いは、津田は本当にボタンを所有している。しかし、彼はそのことを公言するつもりは今のところない。当然、押すつもりもない。かといって、今加羽がしているように、復讐の道具にするつもりも、クラスを牛耳ろうとする気もない。
 しかしながら、この「本当に持っている」ことを当然時にして「自分だけが知っている」という時点で、彼は他のクラスメイトたちよりも、情報に関してはこれまた当然だが、大きくリードしていた。
 何より、本当に持っているのである。
 加羽が本当に持っているかもわからない。
 しかしながら、他のクラスメイトが二人に対して、「本当にもっているのだろうか」だとか、「もしかしたらもっていないんじゃないか」という疑念を津田が抱えることはない。

更新日:2013-03-29 23:59:55

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