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第8章 〈1〉

 山々に積もった雪は、透き通ったせせらぎとなって草花の芽吹いた大地を潤していく。
 城の五十キロほど北にある山脈のふもとは、毎年この季節、山から流れる雪解け水で湿地帯となるのだが、今年の冬は積雪が多く、その清らかな流れは、スミレやニリンソウなど、色とりどりの春の花が水底に揺れる、幻想的な湖となって平原に広がった。

 柔らかな春の日差しがこずえの合間を縫って、あたしの膝の横で風にそよぐユーリの髪をキラキラと輝かせる。
 そのきらめきを指に絡めながら、目をつむり、緩やかな流れの織り成す水音の子守唄に耳を傾けると、彼の指があたしの頬に触れた。

「たまには朝の遠出も悪くないだろ」

 彼が寝ころんだままあたしを引き寄せる。彼の唇に触れ、そのまま彼の胸に頬を乗せて、うっとりと、光を集めた水面の下に広がる花畑を見つめる。

「すごくすてき……。夢の中にいるみたい」

 彼は誰よりもカルサールの美しさを知っている。彼は「竜の瞳」のことを「エゴイズム」としていたが、彼がカルサールを守り続けてきてくれたのは、「あたしのため」だけではないはずだ。彼はあたしを愛する前からずっと、この美しいカルサールを愛し続けているのだ。

「この光景が見られるのは、ほんの数日間だけなんだ。桜の花が散り始める前には、この湖は消えてしまう」

 つかの間のはかない美しさ……しかも、次はいつ見られるのかわからない。……でもきっと、だからこそ、こんなにも清らかで、心を魅了するのだ。

「……今年はもう見られないわね。忙しくなるもの。またいつか、見られるといいなぁ……」

 いよいよあたしは彼の花嫁となる。

 結婚の行事は今日から始まり、明後日まで続く。
 今のこの安らかな時間は、あと何時間も続かない。無理を言って作ってもらった貴重な時間なのだ。

 あたしが彼の上でため息をつくと、ユーリが笑いながらあたしの背中を撫でた。

 何日も前から城中が忙しく動き出し、国中はお祭り騒ぎで、母たちの結婚式との規模の違いに驚かされ、今更ながら怖気づかずにいられないでいる。

 あたしは、衣装の最終調整やらウェストを細くして胸に肉をつけるためのマッサージやらで、三日前からフィオナに軟禁され、今までずっと彼に会うことができなかった。
 彼と会えない禁断症状と、周りのあまりの湧き上がりように対する緊張とで、あたしは半分ノイローゼになりながらフィオナに泣きつき、今朝ようやく時間を空けてもらえたのだ。

 そして今日これからが本番。

 カルサールは多民族国家なので、その土地によって結婚式のやり方も様々だ。同一民族で結婚する場合は特に問題はないのだが、あたしたちのように異なる民族が結婚する場合、双方に譲れないやり方というのがある。
 当人たちには何のこだわりもなくても、相手の民族の伝統を尊重しなければ、後々に争いに発展しかねない。だから、異民族同士の結婚の場合、一日目は新郎側の民族のやり方で行い、二日目に新婦側のやり方で行われることが多い。

 二日間の結婚式をやり終えて、初めて晴れて夫婦と認められるのだ。
 あたしたちの結婚式は、今日はこれから「親迎の儀」と「拝顔の儀」、トゥレニでの「饗宴の儀」、明日は「御禊(ぎょけい)の儀」と「婚姻の儀」それから参賀に来てくれた人たちに表のバルコニーで顔見せをして、そのあと宮中での「饗宴の儀」、そして三日目の晩に「拝謁の儀」、というスケジュールだ。

「今日の分は気楽にかまえてていいよ。大層な名前がついてるけど、いつも通り僕が迎えに行って、僕の家族に会って、みんなでわいわいアットホームな宴会をするだけだから。三日目だって、サラの家族と食事会するだけだ」

「大変なのは明日だけってことね。氷室(ひむろ)のような岩屋で、心臓が止まるほど冷たい泉の中につっこまれて、ガチガチ震えながら氷のように冷え切った身体をコルセットで締め付けられて、各国から来た大勢のお客さんの前にひきつった真っ赤な顔をさらすのよ。あたしがトゥレニ族だったらこんな苦行は強いられずに済んだのに」



更新日:2013-08-22 23:05:52

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