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 エルフは北欧の産である。小さくて性悪だという以外、彼らについてはほとんど知られていない。彼らは家畜や子供をさらったり、ちょっとした悪魔じみたことをして喜ぶ。たぶん異教徒の時代にさかのぼるアングロサクソン人の呪文によると、彼らは遠くから小さな鉄の矢を射るといういたずらをする習性があった。矢は傷跡を残さず・・・・・・
「幻獣辞典」より



 思うに、人は森羅万象のことごとくを知悉したつもりで、万物の霊長などと高言しては恥じもせず、倣岸に他の生物を見下しているが、人類発祥爾来、核心的な部分においては何ひとつとして諒解された事物はないのであって、それどころか、対象物を正確に捕えているかどうかも疑わしい。
 現代でさえ、この世とはおよそ球体で、急激に膨張しつつあるようだという以外、始まりは皆目見当もついていない。種の起源も未だ推論の域を出ておらず、先ごろは「インテリジェント・デザイン」などいう神秘的な言葉が実しやかに囁かれる。万能科学が盲信されているとしても、自分とは何者で、自分が存在するその場所が果たして何処なのかすら、明確な回答は得られていない。人類は久遠の闇夜の中、辛うじて足もとだけを照らす頼りない灯りひとつで、行く先も判らず歩いているに過ぎないのだ。
 実際、物の色とは、特定範囲の可視光線の中でどの波長を反射しているかによって決まるらしい。音にいたっては動物と比較して人間の可聴域は極めて狭いという。ならばまったく別の波長に視聴覚の範囲を変えたとしたら、人間は何を見てどんな音を聴くのだろう。学者どもは、限定された視聴覚領域がこの世のすべてだと思い込んで、疑うことも顧みることもしていない。
 あるいは、物質の存在も踏まえて、人間の視聴覚に限定された問題というのではなく、もっと超越的な、人知を遥かに逸脱した話なのかも知れず、人間が仮に、全然別の波長を持つ時間や空間にふと入り込んでしまったとしたら、そこでの体験は、知識や常識では計れない、まったくもって観念外の驚愕すべきものには違いないのだ。
 もし、あのような恐ろしい出来事に遭遇しなければ、僕自身も、この世界の不可思議を想うことはなかったろう。自分の記憶や正気を疑って日々思い悩むこともなければ、彼の地を捜し求めて、一晩中車で走り続けたり、誰もいない彼女の家で、彼らの再訪を待つこともなかったはずである。
 僕が深夜の山中で見たものと、その後、友人宅で経験した出来事は、当然のことながら誰にも信じてはもらえまい。この僕でさえ、あの出来事は、悪戯好きの友人の性質の悪い冗談であると信じたいのだ。
 ただ、問題なのは、その友人の行方が、未だに知れていないことにある。あの日以来忽然と消えて、消息がつかめない。ごく限られた共通の友人や、数少ない縁者に尋ねても、その後の彼女に遭った者はいない。
 彼女は何処へ行ったのか。彼女は本当に連れ去られたのか。生きているのか、死んでいるのか。生きてはいるが、この世にはいないだけなのか。もしくは、この世には在っても、もはや遺骸と成り果てているのか。
 少なくとも今の僕にできる事は、事件をできるだけ詳細に、正確に書き残しておく他はない。彼女と同じ運命を辿る前に。

 
 その友人の名は村田久美という。
 同窓生であり、当時はもっとも緊密な交友関係を保っていたのに、卒業を境に音信が絶えていた。その村田久美から唐突に電話が入り、どこで僕の仕事を聞いたのか、先ごろ相続した土地の売却処分を依頼したいというのだった。
 懐かしい彼女の実家を訪れ、顔を合わせて久闊を叙せば、当時の感情までもが復元される。極めて女性らしい華麗な外観を持ちながらも、未だに男性を近づけないでいるのは、別段同性愛者というわけでもなく、男性的なその性格と言動によるのだろう。ただ、この日再会した彼女は幾分様子が違っていた。意外なことに、微かに華の香りを漂わせ、見事に化粧された貌は少し痩せて、凄愴なほどに綺麗だった。有毒花のような艶めかしい唇が、煙草の煙を吐き出しつつ、依頼の詳細を告げるのだった。
 すでに両親を亡くし、姉妹もいない彼女に唯一残されていた祖母が半年前に死んで、期せずも相続した一連の財産を整理処分したいのだという。中でも問題なのは、別荘用地にとの謳い文句に、騙されて購入したと思しき山中の広大な土地である。調べても大凡の位置すら掴めず、どうやら富山と長野の県境、北アルプスの山裾らしいことが辛うじて判明した。あとは現地付近に赴いて、地元の法務局や役場で正確な所在を突き止めるほかはないだろう。
 大半が他愛もない雑談の、長い話を終えると、翌早朝に約束のあった僕は、泊まれと勧める彼女の言を受け入れもせず、必要書類を預かって、いささか意に反してではあるが、彼女に帰宅の意思を告げた。

更新日:2014-11-10 18:47:03

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