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地の章

「もう一柱の、竜王……?」
 誰からともなく、戸惑った声が漏れる。
 皆が惑うのも、無理はない。
 竜王というものは、火と水、そして風の具現者であり、自然はこの三竜王によって循環している、と考えられている。
 世界を構成する要素はそれで全てであって、そこに更に一つ、という考えは一切なかった。
 故に、もう一柱、竜王が存在するなど、それこそ世界を揺るがせる事態なのだ。
「知らないのも当然だ。僕も、辺境の地で見つかった古文書でそのくだりを目にしたのが唯一の根拠だ。だが、それにはかなりの信憑性があると踏んでいる」
 真剣な眼で、グラナティスは全員を一瞥した。

「それが起きたのは、一万年前、と言われている。まあ、この場合の一万年とは、酷く昔のことだという表現だろうから、さほど気にする数字じゃない。
 その頃は、人間は大陸の各地で幾らか寄り集まり、集落を作っていたかどうかという状況で、まだ国として纏まってはいなかった。当然、竜王も信仰する民を持っていた訳ではない。人と竜王を繋ぐ者としての巫子もいない。竜王は世界を顕し、統べるものたちとしてのみ、存在していた。
 そして、この世界に、龍神ベラ・ラフマが現れたんだ」
 その名前に、ぞくりと背筋が冷える。
「龍神、というものをどうして僕がここまで忌避するのか、不審に思っている者もいるかと思う。
 龍神の最終的な目的は、この世界を我が物とすることだ。
 そのために明らかに邪魔になるのは竜王たちであり、奴は顕現以来、竜王を滅し、それが無理ならばせめて封印するべく動いている。
 火竜王は封印こそされてはいないが、その民であるイグニシアは、ほぼ奴の影響下にある。風竜王が龍神の呪いでつい数日前まで封じられていたのは皆知っているだろう。そして、今回のカタラクタ侵攻で、水竜王が危機に瀕していた」
 ペルルが顔を青褪めさせている。
「……だから、グラナティス様は私をイグニシアへ呼び寄せたのですか?」
「僕が呼んだのは、高位の巫女を保護するためと、協力を要請するためだ。王宮の方もそれに呼応して、貴女を横取りするべく画策していたが。奴らを出し抜けたのは幸運だった」
 あっさりとグラナティスが認める。
 王宮にペルルの身柄が渡っていたら一体どうなっていたのか。イフテカールを思い出して、アルマナセルは密かに拳を握った。
「まあ、竜王とそれに仕える僕たちが龍神を忌避する理由はある。しかし、それとは直接関わりのない民にとっても、これは放置できない問題なのだ」
 壁にだらしなくもたれかかり、話を聞いていたクセロが、小さく眉を動かした。
「龍神の特性の一つが、残虐性だ。自然の巡りとしての調和を重んじ、信仰する民への加護と繁栄をもたらす竜王とは、真逆の。奴が世界を支配すれば、人は奴隷の生活すら生易しい状況へと落されるだろう。家畜のように生まれ、家畜のように生かされ、家畜のように繁殖し、そして虫のように殺される。人々の絶望と嘆きに、奴らは心地よく浸るだろう。
 また、世界そのものが変わることとなる。龍神が元々いたところは、なんと言うか……、それこそ地獄のような環境だったらしい。しかし奴にとっては、それが最適の世界だ。僕らの世界をベラ・ラフマが支配すれば、地獄に似たものへ変貌させることは、目に見えている。それを阻害する存在として、竜王が邪魔だ、ということでもあるのだ」
 グラナティスが言葉を切ると、室内が静寂に満たされた。
 イェティスが、小さく咳払いをする。
「その……、貴方は、どうしてそう具体的に語ることができるのですか?」
 幼い巫子は、小さく笑みを浮かべた。
「全て僕の妄想だとでも思いたそうだな。生憎だが、僕はこの三百年、龍神の下僕やその信望者たちとやりあってきた。脅し文句を吐かれるのなんて、しょっちゅうだ。
 それに、〈魔王〉アルマナセルとはそれなりに親しくしていたからな。あいつは、龍神とは同郷みたいなものだと話していたよ」
 がたん、と椅子が鳴った。視線を向けると、オリヴィニスが腰を浮かしかけている。
「あ……ああ、ごめん。何でもない」
 青年は小声で謝ると、再び腰掛ける。数秒間それを見つめて、グラナティスは口を開いた。
「一万年前に話を戻そう。この世界に顕現した龍神は、すぐさま世界を変貌させようとしたらしい。何も考えずに、ただ力押しで。
 それを押し留めたのが、大地を司る地竜王だ」

更新日:2013-02-20 23:15:15

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