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 扉のきしむ音がして、どかどかと複数の足音が聞こえた。
 聞き覚えのあるあくびも聞こえる。

「やっと起きたわ」
 するするとマストを途中まで滑り降り、あくびの主を待つ。
 そして、筋肉隆々の大男が足元に姿を現した瞬間に飛びかかった。

「おわっ」彼は驚いて二、三歩よろめいたが、こんなことで倒れるような男ではない。

「おはよう、クリス兄さん、寝坊よ」
「やったな山猿娘め」
 クリスはあたしの頭を抱え込み、自分の肩から引きずり下ろそうとする。

 兄、と言っても母方の従兄だ。あたしは六歳で母を失った後、ログノールの伯母夫婦のもとで暮らしてきた。二人の従兄たちとは十年近く兄弟同然に育ってきたのだ。

「おはようサラ、相変わらず早いな」
 下の兄さんはアンディ。クリスほど大男ではないが、やはり軍人らしい精悍な顔つきと体格だ。
 クリスに抱え込まれた頭をがしがしと乱暴になでる。

「この光景が見られるのも今日で最後か、寂しくなるな」

 アンディが言うと、今までガハハと笑っていたクリスまでさびしげな顔になり、
「おお、サラ、娘を嫁にやる父親の心境だー!」とあたしを抱きしめた。

「ウィルも今ごろ号泣してるぞ」

「あいつお前に惚れてたからな」

 ウィルとはあたしの幼馴染みで、ログノールの王子だ。
 父は彼の父親と親友同士だし、叔父はログノールの将軍で毎日王宮に出入りしていたので、あたしたちは四人でよく遊んだ。
「やめてよ、そんなんじゃないって」赤くなりながら否定する。

――でも、号泣はありえるかも……。

 ウィルはよく兄さんたちにかわいがられすぎて、しょっちゅうあたしに泣きついていた。
 最近はあたしに泣き顔を見せることはしなくなったけれど、身内をとても大切にする彼は、あたしの帰国にかなりショックを受けていたようだし・・・・・・。
 ウィルの号泣する姿を思い浮かべ、思わず噴き出す。

「ウィルと一緒になれば俺たちとはいつでも会えるのに……」
 クリスが残念そうに言う。
「冗談でしょ、そんな気はないし、許されるはずもない。……兄さんたちとはいつだって会えるわよ。遊びに来てくれるんでしょ」

「もちろん、お前はどこにいたって俺たちのかわいい妹だからな」

「あたしも、竜に乗れるようになったら、毎日だって会いに行くから」

 兄たちが笑いだす。
「おまえ、まだそんなこと言ってるのか、全く変わったやつだなあ」

「もう、やってみなきゃわからないでしょ」
 頬をふくらませ、二人の兄を睨みつけると、
「反対はしてないよ。期待しないで待ってるさ」
と、アンディが額にキスをした。

 クリスが「俺も俺も」とひげ面をすりよせてきたので、笑いながらかわして、しばらく追いかけっこを楽しんだ。 


 あたしたちが、鬼ごっこに飽きて、リンゴとパンで軽く朝食を済ませたころ、その奇妙な光景は現れた。

 水平線近くにぼんやりと漂う影を見て、はじめは雨雲だと思っていた。
 船が近づくにつれ、それはだんだんはっきり見えてきた。

「海の城壁だ」

 あまりの不気味な光景に、鳥肌が立った。なにか、とてつもない違和感がある。その違和感の正体に気付くまで、時間はかからなかった。

 空は雲ひとつない快晴だった。
 しかし、目の前に巨大な濃い霧の壁があるのだ。まるで線引きしたように、あたしたちがいる世界と隔てられている。そしてその霧の中は、大嵐のように波が荒れ狂い、あちこちに大きな渦が口をあけている。

 これほど矛盾した光景はあるだろうか。霧はずっしりと重そうにたたずみ、波が荒れ狂うほどの風が吹いているようには見えないのだ。

 思わずごくりと唾をのみ、となりにいたクリスの袖をつかんだ。

更新日:2018-02-27 07:09:01

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